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東京高等裁判所 昭和62年(う)57号 判決 1987年12月01日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役四年に処する。

原審における未決勾留日数中二七〇日を右刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人加藤文也作成名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官咄下吉男作成名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一、事実誤認の主張について

所論は、要するに、被告人には被害者に傷害を負わせる意思しかなかつたのに、未必の殺意があつたことを肯認した原判決は事実を誤認したものであり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのであり、これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

一まず、原判決挙示の関係各証拠によれば、原判決がその理由中の「(犯行に至る経緯)」の項において、被告人が被害者と知り合つて交際を深めた経緯状況、二人が同棲同然の生活をするようになつてから、本件犯行に至るまでの同棲生活の状況等について詳細に認定判示するところは、当裁判所においても大筋においてはおおむね肯認することができる。

それによれば、被告人は昭和六〇年八月ころ、武蔵野市在○○マンション一〇二号室被害者A方で、同人と同棲同然の生活をするようになつてから、同人に少しでも自分の抱く理想に反するような行動があるとすぐに腹を立て、些細なことで被害者と喧嘩をすることが多くなり、その際、被告人は、幾度か包丁を持ち出しては、その都度これを被害者に取り上げられていたが、同年一〇月上旬ころ、被害者の部屋の押入れにあつたダンボール箱の中に、同人がかつて親密に交際していた女性から被害者にあてた数十通の性描写などもある手紙や贈り物と思われるクッションが残されているのを見つけた際、被害者を厳しく問い詰めるだけでなく、このときも包丁を持ち出して被害者に迫つたことがあつたというのである。ところで、この包丁を持ち出して被害者に擬したということについて、被告人は被害者を殺傷などしようという目的からではなく、被害者の自己に対する愛情を確かめるためであり、また自己の被害者に対する恋情がいかに真剣なものであるかを訴えようとしたものであつて、被害者を憎悪するとか、嫌悪する気持からやつたことではさらさらなく、むしろ情愛の至上の表現である旨を弁解しているのであるが、原審記録ならびに当審で取り調べた各証拠によつて認められる被告人の性格、思考傾向、殊に、かなり特異なその愛情についての屈折した思考からするならば、被害者の情愛を渇望しながら、その言動は被害者に対し挑戦的あるいは攻撃的に出ることのあつたことは、被告人の主観を前提とする限り首肯し得るところであつて、右弁解が不合理不自然というには当たらない。そうだとすれば、本件以前に被告人が被害者に対し前述のように数度に亘り包丁を持ち出したことがあつたとしても、そのことをもつて被告人が被害者に対して敵意を抱いていたとか、愛情が破綻していたとか、さらにいつかは殺傷するに至るやもしれぬとの瞋恚を内心に蔵していたなどのことを推認する事情と評価することはできず、かえつてそれが主観的観念的独善的であつたとしても、被告人は被告人なりに被害者に一眉の微笑を渇仰する悲しい慕情の表現であつたと見るべきであつて、このことは本件事件によりその腹部を被告人により刺突された被害者が、死亡するに至るまでついに被告人に対しその言動を恨み憎むような言動に出なかつたことによつても、両者がその心底においては愛し合つていたことが窺われるところから裏付けられるということができる。結局原判決がその理由中の「(補足説明)」の項で、被告人は、被害者に対して、「本件犯行の直前までは殺意を抱く理由のなかつたことが認められる。」旨認定説示しているところも正当として是認することができる。

二そこで、次に、本件犯行当日の犯行直前における被告人と被害者の各言動、及び犯行の態様、状況について検討する。

(一)  原判決挙示の関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

1  被告人は、本件犯行当日の午後三時半ころ、被害者と一緒に年末の買い物などをすませて同人方に帰宅し、同人の性交の求めに応じて前戯をしているうちに、同人の左腰骨部にあつた「章」の入れ墨が大きく目に入り、これまでは入れ墨の存在そのものには気付きながらも、その意味がよくわからなかつた「章」の字が、その時、瞬間的にAと親交のあつた他の女性の名前「章美」の一字であることに気付き、愕然とするとともに、無性に腹立たしく、また悲しくなり、このような入れ墨まで彫り、しかも、被告人のことを愛していると言いながら、今までそれを消さずに残していた被害者を許せないという気持になり、また、入れ墨をした理由を問う被告人に曖昧な言い訳めいたことを言う被害者の優柔不断な態度にも腹立たしさを覚え、手元にあつたボールペンを同人に向かつて投げ、さらに、コップや電気釜なども投げつけたりした。すると、被害者は、「消せばいいんだろう。」と言つて、カミソリで入れ墨をさかんに削るような仕草を始めた。被告人は被害者の愛を独占したい気持から、一向に自己のほうに迫つてこない被害者のそのような仕草に、淋しさと苛立しさを覚え、被害者の情愛をストレートに自己に振り向けさせるべく、例の如く台所から菜切り包丁を持ち出して、被害者の後方からトレーナーを着ている右肩を一回軽く突いたところ、同人はいつものようにその包丁を取り上げ、なお台所にあつたその他の数本の包丁をも全部持つてきて、同室西南隅にある整理ダンスと壁の間に放りこんでから、被告人の気持を察してか同女を抱き倒して体を重ねようとしてきたが、被告人はその鬱屈した激しい情念から被害者のより鮮やかな愛の表現を迫つて、これを拒否し、「あんたみたいな人死んじやえばいい。顔も見たくない。」などと悪態をついたため、被害者は被告人から離れ、無言のまま洗面所に入り、中から鍵をかけてしまつた。

2  被告人は、ベッドの脇に座つて、被害者が洗面所から出てくるのを待つていたが、約一〇分間経ても同人からの言葉もなく出てもこないところから、焦慮と孤愁の念いが募り、情愛を迫る渇望が高まり、包丁を以つて迫り求め、その愛を一身に力強く受けんことを希い、さきに被害者が放りこんだ整理ダンスと壁の間の包丁のうち、文化包丁一丁と本件パン切り包丁を取り出し、パン切り包丁はベッドの上テレビの傍に置き、文化包丁を右手に持つて、洗面所の前の台所のところで被害者が出てくるのを待ち、洗面所の電灯を消すなどの嫌がらせをして早く顔を見せることを催促しているうち、ようやく被害者が同所と台所の間のドアを開けようとしたので、被告人はその腕に右包丁を突き出したが、一回目は再度ドアを閉ざされ、再び開けて被害者がでてきたときには、被告人はその持つていた右包丁を同人に取り上げられてしまつた。

3  その直後被害者は、被告人に一指も触れずその傍をすり抜けて、右文化包丁を再び整理ダンスと壁との間に投げ捨てる行為に出て、被告人に言葉をかけず、殊更に無視する冷淡な態度を示していたところから、被告人は、同人の腰の入れ墨の端に発して、同人を自己一身に没入させようとの同人に対する激しい慕情に対し、同人が一向に自己の心を満し、身を熱くさせてくれる心身の情愛を吐露してくれない焦慮と孤渇の念いから、従来程度の包丁を誇示することからさらに進んで、被害者を傷つけてでもその情愛を浴びたいとの情念に駈られ、とつさにベッドの上においていた本件パン切り包丁を右手につかみ、洋服ダンスを背にして立つている被害者の前一メートル足らずの位置に対峙し、被害者の左鎖骨付近の肩を傷つける意思をもつて右足を踏み出すようにして右包丁を突き出した(刺突を目ざした部位については被告人の原審および当審の各供述を検討すると上記のように認められる。原判決もかかる趣旨において認定していると解される)。

4  被害者は、右の包丁を避けようとしたが、避け切れず、被告人の突き出した右包丁は被害者の腹腔内に刺入し、その創洞約一一センチメートルの深さに達した。

(二)  被告人が当審に提出した上申書によれば、被害者が洗面所を出た後、その腹部に被告人が突き出した本件パン切り包丁が刺入するまでの両者の位置および行動につき、被告人は縷々詳細に供述しており、当審においてもその供述を維持しているが、その弁解するところでは、すでに取り調べられている捜査段階および原審での供述と相違しており、また客観的な証拠とも矛盾しており(たとえば両者が対峙した位置、室内の状況、テレビやパン切り包丁をおいた位置)、さらに、被告人が①ないし③を図示して演述する被害者の防禦的行動は、原審までに述べてきた同人の行動と著しく異つている。とくに被告人は、自己の右包丁の突き出し行為とそれが被害者の腹部に深く刺入した結果との間に因果関係がなく、被告人の包丁突き出し行為が終了した段階で、被害者のほうから体を前方に寄せてきたことにより被告人の意に反して被害者の体内に刺入してしまつた旨の弁解をしているのであるが、その演述するところの被害者の防禦的行動なるものは、当審における詳細な被告人の供述とその演じた動作によつて明らかになつたように、通常の経験則に反する不自然なものであつて(後述するように、被告人の一気一連一挙動の刺突行為を、被害者が一旦同人からみて右に避け、さらに体を包丁の左に出し、包丁を擬している被告人の右手を下から抱え上げたとするが如きは、被告人の刺突行為がその一貫して主張するように一回のみかつ右のように一連の一挙動の動作であり、また両者の位置関係とくに被害者の位置が洋服ダンスの直前であつて被告人が突き出した包丁との隙間なるものはほとんど残されていなかつたものであり、さらに被告人が弁解するような右手のとられ方であるならば、包丁の刃体の位置方向からみて被害者の本件刺切創を生ずる可能性は全くないといつてよいことにかんがみるならば、技巧的にすぎ被害者に不可能なことを強うるものというべきである)到底措信しがたく、かかる被告人の弁解は採用できない。被告人の本件刺突行為とその包丁が被害者の腹部に深く刺入した結果との間には十分に因果関係を有するものである。

三次に被告人の殺意の有無について判断する。

(一) 被告人の刺突行為について

1 原判決は、被告人が本件の直前に二度に亘りその所持する包丁を取り上げられた後の、被害者のそれまでと異つた冷淡な態度ならびにそれに対する被告人の「激高」がそれまでと異る旨を認定しながら、被告人が本件パン切り包丁を右手につかみ、被害者の左肩付近に向けて突き出した時点では、被告人の刺突行為につき未必的にもせよ殺意を認めていないのに、その一連かつ瞬時の右刺突行為の途中で、刃先が被害者の肩より下の身体の枢要部分に向かうこととなつた時点で、初めて未必の殺意があつた旨のことを認定できるとしている。

2 しかしながら、被告人は、本件パン切り包丁を右手につかみ、被害者の左鎖骨付近の左肩に向けて一気に右包丁を突き出したというのであるから、その刃先が被害者の上腹部に突き刺さるまでは、瞬時のことであり、かつその刺突行為は一気一連一挙動のものであつて、決して被害者の身体に突き刺さる手ごたえを刻々に確かめながら腕力を加減して右包丁を繰り出したというものではない。被告人が検察官に対する供述調書の中で、「すべるようにして包丁の切つ先が真つすぐ被害者の腹部に吸い込まれて行つた。」旨供述しているのは、まさに右の状況を端的に表わしているものというべきである。被告人が右手に持つた包丁を突き出した直後、その刃先が最初目ざした被害者の左肩付近と異つたそれより下の身体の枢要部とも考えられる方向に向つたとしても、その心意において飛躍が生ずると解するに足りる徴候の全く認められない被告人の瞬時かつ一挙動の刺突行為につき、原判決が説示しているように「被害者に刺さる手ごたえを求めて右手を出し続けた」ものと評価し、殺意認定の資料とすることは相当でないといわざるを得ない。ところで、原判決は結果的には被告人の刺突行為に未必的殺意のあつたことを認定しているのであるが、その殺意発生の時期につき、前述のように被告人の一気一連一挙動の瞬時かつ一回のみの刺突行為を、あえて前後の二段階に分け、その前段、すなわち、最初包丁を持つた右手を被害者の左鎖骨付近の左肩に向けて突き出した時点では、未必的にもせよ、被告人に殺意があつたとすることはできないとしながら、その後刃先が左肩付近より下方へ向かうこととなつた時点では未必の殺意があつたなどと認定しているのであるが、すでに説示したところから明らかなように、本件の刺突行為を前段と後段とでその犯意において異ることを示唆するに足りる客観的な徴候が認められず、かつその心意の飛躍的を認めるに足りる徴候も認められない本件においては、その認定はすこぶる技巧的かつ作為的に過ぎ、被告人の本件刺殺行為の意味するところとは異つており、これを認容することはできない。

(二)  次に被告人の動機なるものについてみるに、一および二の(一)の1ないし3において詳細に認定したところからするならば、被告人が被害者に対する本件刺突行為に及ぶ心情の激しい起伏の中で、どの段階かにおいて瞬時にせよ、また未必的にせよ、被害者を殺害してやむなしとする心情を抱くに至つたとする動機はこれを見い出すことができない。被告人の吐露する被害者に対する情愛のかかわり方なるものは、一般人の心情からするならば、すこぶる唯我的独善的であつて、情愛の表現としては奇異かつ危険なるものというべく、決して是認できる体のものということはできない。しかしながら、少くとも殺意の有無の認定について被告人の心情を理解評価するとき、その基準となるものは一般の客観倫理や平均人の感覚ではなく、あくまで被告人個人の心情によるべきだと解するのであつて、その点から見るならば、すでに説示するような心情をもつて被害者に接した被告人には被害者を殺害する動機は全くないといわざるを得ない。のみならず一般的には奇異と感ぜられる被告人の本件にみられる数度(本件刺突行為を含む)の包丁戯弄の媚態を、被害者においてはある程度受容していたのではないかと思われるのである。それは、本件において死に至る重傷を負つた被害者が、自分でズボンをはき、オーバーを着て、「医者に行つてくる」と呆然自失している被告人に告げて独りで自宅を出ており、その痛さのため路上に蹲つた後、救急車が来着するまでの長時間の間に、多くの人がその傍に囲周していたのに、被害者はその間被告人の刺殺行為によつて受傷した旨を示唆する旨の言句を何ら漏しておらず、むしろ被告人の本件刺殺行為を庇つた感さえ窺われるところから認められるところである(なお司法巡査滝沢映二作成の昭和六〇年一二月二二日付「殺人被疑事件取扱い状況報告書」中の、「被害者は『今、家の中にいる者に刺された』と顔をしかめながら苦しそうに小声で答えた」との記載が、にわかに措信しがたいことは、当審証人滝澤映二、同鯰田昭子の各証言から明かである)。原判決が被告人の心情および感情の起伏につき説示するところは前述のような被告人の特異挙動およびこれを納得して受容していた被害者との独特の情念の関係を考慮していないものというべく、前記認定に照らしこれらを肯認するわけにはゆかない。

(三) 以上の諸点からするならば、被告人に未必的にもせよ被害者に殺意があつたと断ずるには、なお合理的な疑いが残るものといわなければならず、したがつて、被告人に未必の殺意があつたことを肯認した原判決には事実の誤認があり、その誤認はもとより判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、その余の論旨について判断するまでもなく、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書に従い、当裁判所において、被告事件につき更に次のとおり判決する。

(本件犯行に至る経緯)

前記二の(一)の1ないし3のとおりである。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和六〇年一二月二一日午後四時二〇分ころ、東京都武蔵野市吉祥寺本町×丁目○○番△号所在の○○マンション一〇二号室のA(当時三〇年)方において、同人の冷淡な態度に対して、同人を傷つけてでもその情愛を受けたいとの焦慮と情愛渇仰の念から、所携のパン切り包丁(当庁昭和六二年押一八号の一)をもつて同人の腹部を一回突き刺し、よつて同人に対し肝臓刺切創の傷害を負わせた結果、同日午後六時七分ころ、同市境南町一丁目二六番一号所在の武蔵野赤十字病院において、同人を肝臓刺切創に起因する失血により死亡するに至らしめたものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二〇五条に該当するので、その所定刑期の範囲内で処断すべきところ、犯情をみるに、本件犯行の動機、経緯、態様、結果、罪質等、とりわけ、本件は、いまだ人生半ばにも達しない被害者のかけがえのない貴重な生命を奪うに至つたものであつて、その結果はまことに重大であるのみならず、被告人の独善的唯我的な恋愛観なるものに依拠し、全く身勝手なかつ偏執的な性向に端を発した悪質な犯行であるところ、それにもかかわらず、被告人は、被害者に対する恋々たる慕情なるものをひたすら開陳してやまないものの、自らの愚かな犯行によつて、被告人にとつて神にも等しいと呼称するその被害者の生命を断つに至つた冷厳な事実については、なんら悔悟することなく、空理空想に近い幻理をもつてひたすら自己の行動を美化合理化することに汲汲としている態度はまことに遺憾なことといわなければならず、これらの諸点にかんがみると、被告人の刑責は極めて重いものといわなければならない。ただ本件犯行が偶発的な側面もないわけではないこと、被告人にはこれまで前科前歴がないこと、被害者が本件犯行による受傷後被告人を庇う行動に出ていたこと、これを知つた被害者の母親が、被害者の心情を思い、被告人の処罰を求めず、穏便な処遇を望んでいること、その他被告人の年齢、生育歴、家庭の状況等被告人のために酌むべき一切の情状をも考慮して、被告人を懲役四年に処し、原審における未決勾留日数の算入につき刑法二一条を、原審及び当審における訴訟費用を負担させないことにつき刑事訴訟法一八一条一項ただし書をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官石丸俊彦 裁判官小林隆夫 裁判官日比幹夫)

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